境内のご案内

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境内のご案内

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1奥の院

鬼ヶ頬山での悪鬼調伏護摩祈祷の功徳の大きさに感得された弘法大師が、自身の護持仏であった不動明王像を巨巌の霊窟に納められたと伝わっております。その後霊窟には社が建立され、「奥の院」と呼ばれるようになりました。
奥の院は両側を三十六童子が見守る 130 段の階段を登った先にあります。険しい道ですが、お不動さまの御利益を求めて、ほとんどの御参拝者が息も切れ切れに登られます。
※平成16年に岩盤落石防止工事と令和2年に岩片剥離対策工事実施。

2護摩堂

護摩祈祷を行うお堂です。堂内の厨子にはお不動様が鎮座されております(秘仏)。
本堂同様慶長年間の火災により焼失した護摩堂は、享保21年に棚倉諸家及び北・中・下山本檀家の御寄進によって元地に再建されました。その後昭和13年に御信者様の要望により改築が発願されますが戦争の激化によって一時中断されました。その後昭和50年に山本不動尊全国奉賛会・各地区檀徒・信者様の甚大なるご協力ご支援をいただき落慶、現在に至ります。

本坊受付
3本坊受付

総合受付では、以下の申込みを受付しております。

  • ・護摩祈祷、自動車交通安全祈祷
  • ・御朱印
  • ・水子精霊供養
  • ・御守等授与品販売
  • ・山本キャンプ場利用受付

開運出世燈籠
4開運出世燈籠

天保7年(1836)棚倉城第十二代城主松平周防守康爵公が開運祈願のため寄進された石灯籠です。灯籠刻銘には『従五位下周防守源朝臣康爵千時 嘉永二年己酉年三月二十八日』 、また山号刻銘には『不動尊 康爵書』と刻まれております。
第十五代城主松平周防守康英公も不動尊信仰が厚く、日々立身出世を祈願されておられた
ところ、功あって慶応2年(1866)川越城主(八万四百四十三石)となられました。まさにお不動さまの御利益とされ、以降開運出世の不動尊と言われるようになりました。

鐘楼堂
5鐘楼堂

終戦間際に梵鐘を軍へ供出し老朽化した鐘楼堂のみであったところ、昭和21年にご信者様より大梵鐘(980kg)をご寄贈いただいたことで、各地区信徒のご協力を仰ぎ、四つ棟総欅造格天井の現在の鐘楼堂が落慶いたしました。
格天井には勝田蕉琴画伯(棚倉町出身・明治12年~昭和38年)による雲龍画が描かれております。
現在は撞木と梵鐘の老朽化により、ご参拝の方に突いていただけるのは毎月 28 日のみとなります。

水子地蔵尊
6水子地蔵尊

この世に生を受けられなかった水子精霊のための慰霊の地です。当山で供養されたご家族の願いがこもった地蔵像が安置され、清らかな祈りの場として多くの参拝者に大切にされています。お地蔵さまの慈悲が、すべての命を包み込み、安らぎをもたらしてくれます。

水子供養についてはこちら
本堂
7本堂

石堂山徳善院明王寺の御本尊阿弥陀如来を祀る本堂。徳善院は慶長年間に大規模な火災に見舞われ、当時の本堂・護摩堂などの堂宇がことごとく灰塵に帰してしまいました。その後、棚倉城五代城主太田備中守資晴の時代(1705~1728)に当時の住職賴景和上が平塩の地に徳善院本堂を再興。およそ 250 年経った昭和62年、現在の不動尊域に移転改築されました。
毎朝のお勤め、回忌法要、施餓鬼など各種法要の道場となります。
(本尊:阿弥陀如来)

善智殿
8善智殿

平成3年に法要控え室として徳善院本堂に併設されました。縁側からは中庭や参道の景色を楽しむことができ、春や紅葉時期はお茶会のイベントなどで利用される方もおります。
(※徳善院檀家様のご法要等での利用が優先されます。ご利用の際は事前に内容・日程のご相談が必要となります)。

薬師堂
9薬師堂

中山本村社寺明細書上帳(天明8年・1788 年)によれば、大門薬師堂は真言宗光明山法 善院泰山寺(棚倉町中山本字薬師堂)山内の堂宇でありました。本堂・庫裏・鐘楼堂などが取り壊しや倒壊する中、薬師堂は度々補修・修繕されて形を残してきました。明治 39 年には薬師堂・本尊及び什器が泰山寺から徳善院に譲与され、平成 16 年 10 月に徳善院境内地に移転改築されました。
(本尊:行基作 薬師瑠璃光如来 縁日:毎月8日)

参道
10参道

大駐車場から受付まで続く約200メートルの参道は、四季折々の自然が織りなす癒しの小径です。春は山桜とシャクナゲ、夏は緑のトンネルと紫陽花、秋は燃えるような紅葉、冬は澄んだ空気と雪化粧。静かな山の気配と自然の彩りが参拝者を迎えます。

石不動
11石不動

ぼけ封じ地蔵尊
12ぼけ封じ地蔵尊

手水舎
13手水舎

仁王像
14仁王像

水天様
15水天様

弁天様
16弁天様

七福神
17七福神